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2010年7月29日 (木)

キックコラム1『雨男』

『格闘技通信モバイル』が7月30日に配信終了。

4年間、書かせてもらったキックコラムの中からいくつかを、個人的な忘備録の意味も兼ねてここに再録しておこう。

まずは7月31日『RISE68』後楽園ホール大会でTURBO選手と対戦する吉本光志選手について2年前に書いたコラム。

■ 2008/9/30掲載 『雨男』 ■

 台風13号接近のニュース通り9月19日の空は怪しく、バッグをかついで会場入りする頃には、すでに強風で傘が心もとなくひしいだ。

「お客さんには悪いけど、俺にとっては嬉しい雨だな」

 吉本光志はバッグについた雨粒を払いながら、心の中でつぶやいた。

 自分が“雨男”だと確信したのはいつのことだったか。最初のうちは「誰だよ、雨降らすヤツは!」と試合のたびに対戦カードの選手名をチェックしていたが、候補は一人減り、二人減り、気づけば該当者は自分一人になっていた。

 今日を含めて、雨天の試合出場は連続10大会。どう考えても立派な雨男だ。だが、キックを中断し、総合格闘家としてパンクラスのリングに初めて上がった06年7月以来、戦績は9勝1敗。唯一の黒星はパンクラスでのローブローによる反則負けであり、再戦では借りを返している。ジンクスを信じるタイプではないが、総合のリングでも、戻ってきた古巣の全日本キックでも、勝利はつねに雨とともにもたらされた。だから、吉本は今日の雨も素直に喜んでおくことにした。

 それがどんなに細い糸であろうと、勝利と結びつくものなら手繰り寄せたい。ひょっとしたら、そんなすがる思いもあったかもしれない。今回対戦するのはそれほど厳しい相手であり、またこの一戦が今後の自分にとってどれほど重要なものかは、誰に言われなくてもわかっていた。

 全日本キックのエース級がズラリと顔を揃える「日本vsタイ5対5マッチ」に、吉本は初めて抜擢された。当然だという気持ちは、さらさらない。むしろ「俺は5つの席の最後に滑り込んだにすぎない」と自覚していた。過去2回の対抗戦で自分が選ばれなかった理由、そして8年のキャリアを積みながら、これまで一度もムエタイ戦士と対戦するチャンスが巡ってこなかった理由は、よくわかっている。「あと一歩足りない」。それだけだ。

「あと一歩」を、言葉でうまく説明するのは難しい。ただ、自分にそれが欠けていることだけはわかる。ここ数年、吉本は目に見えないがはっきりとそこにある壁の前で立ちすくみ、もがいていた。パンクラス参戦を決めたのも、どんな方向でも今より半歩先、一歩先を歩きたかったからだ。

 新しく開いた扉の向こうで吉本が最初に見たものは「無様な自分の姿」だった。総合デビュー戦のビデオは今見ても切ないほどカッコ悪くて、我ながらゲラゲラ笑ってしまう。腕十字の対処がわからず、腕が伸びきるほうへ逃げているのだ。ビデオには観客の失笑も記録されていた。だが、「あの経験があったからこそ」と今は思える。

 キックでは、セオリー通りのきれいな闘いが体に染み込んでいた。対して、総合ではセオリーの「セ」の字もわからないままリングに上がるしかなかった。半ば「出たとこ勝負」で総合の試合を続けるうちに、見た目のカッコよさより「勝ちたい」という必死の思いを技に乗せることが大事かもしれないと思えるようになった。

 扉を開いて見えたものが、もう一つある。「懐かしいあの頃の自分」だ。パンクラスの道場には、自分と同じように陽の目を見ない中で、練習を重ねる者たちがいた。「将来、絶対に有名になってみせる」。デカい夢を喜々として語るその姿は、キックボクサーとしてデビューした当時の自分と重なった。「俺にもあんな頃があったな」。

 いや、待てよ。なぜ俺は過去形にしてしまっているんだろう。俺だって夢を追っていたはずなのに、今の俺、全然光ってねえじゃん。まわりから言われた試合に出て、まわりの指示通りの技を出して。キックボクシングをやっているはずなのに、なんかサラリーマンみたいだな。だったら、本当にサラリーマンになったほうが、もっと出世するんじゃねえか? こんなのやるために、俺はキックを続けてきたのか? 観ているお客さんの中には縛られた社会にいる人も多いだろう。そういう人は、キックボクサーがリングで自由に自分を表現するところや、夢に対する向上心を感じ取るからこそ、「明日も頑張ろう」と思える。キックを“やらされてる”ヤツの試合を観たって、きっと何も感じないはずだ。

 それが自分に足りなかった「あと一歩」なのかどうかはわからない。もう、そんなことはどうでもいい。とにかく自分の気持ちをすべて預けた技を、自分が思うように、これまでのスタイルを破壊してでも出していきたい。総合格闘家として生きた1年2ヵ月で、吉本の出した答えはそれだった。

                       ◎

 対抗戦の先鋒としてリングに上がった吉本は、序盤からカノンスック・ウィラサクレックの猛攻にさらされた。

 強烈なハイキックはガードの上からでも軽い脳震盪を起こすほどだった。ローキックにも想像以上の痛みを覚えた。「ああ、なるほど。こうやって日本人はタイ人の前で沈んでいくのか」。

 萎える心を奮い立たせたのは「この試合に賭ける気持ちは絶対に自分のほうが上だ」という思いだった。全日本キックのトップクラスにギリギリぶら下がっている俺は、この試合に負けたらすべてが終わってしまう。4R、5R、完全に息が上がっても、その思いが途切れることはなかった。

                       ◎

 大会を終え、吉本はまっすぐに帰宅した。

 雨の日の試合後は、たいていおとなしく家路につくことになる。特に今日はこの荒れ模様だ。台風に直撃されたらかなわない。激しい雨音を聴きながらベッドに入ると、何とも言えない解放感と充実感が両手、両足からゆっくりと立ちのぼってきた。「次につながったな」。ホッとしたのもつかの間、「次の試合、KOで勝ったらもっと充実感があるんだろうな」と思い直す。今日はまだまだ眠れそうにない。

 応援に来てくれた仲間たちは新宿に繰り出し、台風そっちのけで盛り上がっていることだろう。「また雨だったな。しかも台風だよ」とか、俺の雨男ぶりで大笑いしてるかもな。あいつらのことだ。もし次の試合が晴れだったら「ヤバい! 晴れちゃったよ」と言ってくるに違いない。もしそう言われたとしても、俺の答えは決まっている。

「大丈夫。晴れても絶対に勝つから」

※カノンスック戦後、7戦を闘った吉本は、初代RISE65Kg級王者となるなど活躍を続けている。延長戦の最後の1秒まで自分をあきらめない闘いに、私はいつでも不思議な高揚と感動を覚えてしまう。“雨男”記録は続いているだろうか。

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