2008年7月24日 (木)

納見さん舞台!

080724_160801納見かよ! ということで、元女子プロレスラーで現在は女優業にまい進する納見佳容(のうみ・かよ!)さんの舞台初日に行って来た。

タイトルは『あなたの探し物。無料で探します(仮)』場末風スナックの室内の一角になぜか居を構える探偵事務所、というより何でも屋の、納見さんはスタッフの一員。

この舞台がユニークなのは、出演者12名全員が女性であること。スナックのママからセレブ風から一見フツーのOLから警官から蕎麦屋の店員から国民的美少女の女子高生から、もう全員、女子。

やはり女子プロレスの頃から納見さんを見ていたせいか、女子にうもれている納見さんがとてもしっくり来る感じ。それに、すっとぼけな役柄も、素な感じでナイスだ。

これだけ女だらけだと、目立たない役どころもあるかと思いきや、それぞれキャラが立っていて、それぞれなくてはならない存在。みんな光る、光る。これは脚本のよさだ。久々に舞台でいいコメディを見せてもらった。

そうそうそう!とうなずける女子ならではのドラマやセリフ満載。興味のある方はぜひ!

06_anatanosagashimono_front_2ゆう・ゆうカンパニー第6回公演「あなたの探し物。無料で探します(仮)」

女優12名によるありそうで無さそうなコミカルステージ!

日程
7/25  19:30~
7/26  14:00~,19:00~
7/27  14:00~,19:00~
7/28  19:30~
7/29  14:00~,19:30~
7/30  15:00~

劇場
池袋シアターグリーンBOXinBOXシアター
料金
前売3000円、当日3500円(全席自由

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2008年7月 2日 (水)

アンケート☆

Resize0159   女子プロボクサーの上村里子選手が、大学の卒論のためのアンケートを行っております。
短いアンケートなので、ご協力いただけると嬉しいです。

http://www.joy.hi-ho.ne.jp/sumipe/SatokoKamimura/questionnaire.html

プロボクサー、インストラクター、マンガ喫茶バイトなどなど超多忙の合間を縫って、こつこつと長い時間をかけて通信制の大学で勉強してきた上村選手。頭が下がります。
8月にはいよいよ後楽園デビュー?

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2008年5月11日 (日)

女子ボクシングスタート

5月9日、後楽園ホールでJBC認可の下での第1回女子ボクシング大会「G Legend」が開催された。

2005名もの観客が集まり、大会は盛況だった。

私は1999年5月の日本女子ボクシング協会の旗揚げにも立ち会っているので、何か既視感のようなものがあった。9年前の観客数は300名ほどだったか。大会規模はもとより、選手のレベルが格段にアップしていることが嬉しい。

また、観客の中に、99年の旗揚げから大会を支え続けたリングドクターやナース、その他女子ボクシング関係者の方々、初代日本フライ級王者の八島有美さんらの顔を発見できたことも嬉しかった。

彼らの尽力があったからこそ、今の女子ボクシングがある。心からそう思う。

連綿と歴史がつながっているとはいえ、公には「女子ボクシング」はプロスポーツの新興ジャンルであり、5月9日がスタートの日となる。今大会に出場した18名を含め、今年プロライセンスを取得した選手たちは、云わば女子プロボクサー一期生。彼女たちの闘いが、そのまま、この新たなプロスポーツの血となり肉となるわけだ。

Cover_m先日、ボクシング、ではなく『ボウリングマガジン』6月号の取材で、名女子プロボウラーの中山律子さんにお会いした。

1970年代に空前のボウリングブームを生んだ立役者の一人。“さわやか律子さん”のことを日本中の誰もが知っていた。王、長嶋と並ぶほどの国民的ヒロインだった。

女子プロボウリングのスタートは、1969年5月。プロテストに合格した13名が、女子プロボウラー一期生として連日しのぎを削り、その様子がテレビ中継されたことで本格的なボウリングブームが到来した。律子さんは一期生の一人だ。

当時の一期生たちのライバル意識は尋常でなかったそうで 、律子さんも「とにかく全員がピリピリしていた。あの時、誰と仲がよかったかがどうしても思い出せないぐらい」と語っていた。その緊張感がテレビを通して伝わるからこそ、お茶の間の人々が格闘技を観るような感覚で熱狂したのではないか。日本中を席巻したボウリングブームを、律子さんはそう分析している。

ジャンルこそ違うが、女子のプロスポーツをつくり上げていくという点では、当時の女子プロボウリングも、現在の女子ボクシングも変わらない。一期生の役割というのは、やはり重要で、その責任も重いのだ。

現在、律子さんは男女を含めた日本プロボウリング協会(JPBA)の会長、そして女性ボウラーを応援するレディースボウリングクラブ(JLBC)の会長を務め、ボウリング普及のために日々、奔走している。

女子プロボウラー一期生が誕生したのは1969年5月。

日本女子ボクシング協会が旗揚げしたのは1999年5月。

そして、JBC認可の女子ボクシングスタートは、2008年5月。

女子プロボクサー一期生のうちの誰かが、女子ボクシング普及のために全国を忙しく駆け回る。20年、30年後、そんな日が来るだろうか。来たらいいなと思う。

まだ、女子ボクシングは始まったばかりだけれど、ついそんなことを考えてしまった。

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2008年3月24日 (月)

嬉しい雨

先日、元女子格闘家と久しぶりに会って食事をした。

彼女はケガで引退をしたのだが、引退直後に「近々、食事でも行きましょう」と言ったままになっていた。あまりに日が経ってしまったので、声をかけづらいなと思っていたところ、彼女のほうからメールをくれたのだ。

少しほっそりしていたけれど、彼女はとても元気そうだった。お互いに近況報告をした。

帰りがけに彼女が「近くに格闘技ジムができたので、通おうかなと思ってるんですよ。もちろん趣味で」と言った。

ああ、よかった。ほっくりと嬉しかった。

特に女子の場合、引退した後は格闘技との縁が切れてしまう人も多いようで、それを聞くといつでも少しさびしい気持ちになる。つちかった技術を活かせるような、そんな道筋がつけられないものかと考えてしまう。もし道筋がつけられれば、途切れ途切れになっている女子格闘技の歴史が一本の線につながり、女子格闘技の未来も拓けていくのではないかと。

だから、彼女の口からまた「格闘技」の言葉が出た時、ほっくりと嬉しかったのだ。つながっていてくれて、ありがとうと思ったのだ。

外に出たら雨が降っていた。私も彼女も傘が嫌いなので濡れながら歩いた。走りもせず、ゆっくり駅までたどりついた。

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2008年3月16日 (日)

私の思うこと

女子ボクサーのライカが、児童福祉施設「迦陵園」の園児や関係者を集めての講演会に招かれた。私も聞き手役で同席させてもらった。

本格的な講演会はライカも私も初めてで、「30分も話せないかもね」と、やや途方に暮れていたのだが、終わってみれば1時間15分、予定時間ギリギリまで質疑応答の形で話を進めることができた。

Raikakanban話の中で、ライカは「今日のテーマは“私の思うこと”だから、正直に話していいですよね」と前置きした上で、18歳で園を卒業して、というより卒業させられてからの辛さを語った。途中で、こみ上げてきたものが抑えきれず、沈黙してしまう場面もあった。

本当ならうまくフォローしなければならないのに、すぐ横で私も胸が詰まって何も言えなくなってしまった。まったく、何をしに行ったのか。

でも、これまで園に対して言いたくても言えなかったことを吐き出せたことは、ライカにとってこれ以上ないほど意味のあることだったと思う。「また一つ、彼女は壁を乗り越えたんだな、また成長するんだな」と私も思い、そこに立ち会えたことの幸福を感じられた。

にしても、疲れた。

終わった後は放心状態。ライカも同様だったようで、駅まで送っていきますと関係者の方に言っていただいた時は、「いや、ちょっと散歩でもしたいんで」と、私が答える前に、私が答えたかったように返事をした。ぶらぶら、とぼとぼ歩きながら、変なテンションを鎮めたいと、ライカも思ったようだった。

「ここでね、毎日真っ暗になるまで遊んでたんすよ」

ぶらぶら歩いた先には下鴨神社の広場があり、ライカはそこを指さして言った。

手つかずの、鬱蒼とした木々に囲まれたその広場では、子供たちが野球をしたり、意味もなく自転車の加速度をあげて走り回っていた。

「へえ、いいね。広くて」

「そうっすよ。夜には肝試しもやったんすよ。外灯なくて真っ暗で、ほんっとに怖いんすよ」

しばらく、ぶらぶらと歩いた後、2人でタクシーに乗った。

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2008年3月 6日 (木)

女子プロボクサー新人テスト

2月28日の第1回女子プロボクサー新人テストではB級(6回戦)14名、C級(4回戦)6名、3月4日の第2回ではC級12名が合格。計32名が女子プロボクサー第1号として日本ボクシングコミッション(JBC)から認定された。

プロテストでは、アマチュアで活躍してきた選手と、JBC未認可の日本女子ボクシング協会(JWBC/JBC女子認可により消滅)でプロとして活躍してきた選手が、同じリングに立っている光景が見られ、とても感慨深いものがあった。

JWBCが旗揚げしたのは1999年だが、当時からオリンピックでの女子ボクシング正式種目化の話がポツポツと出始めており、プロの道を選ばず、ひたすら“その日”を待ち続ける選手も多かった。

一方で、「待ちきれない、早くリングに立ちたい」というライカや八島有美(引退)のような選手たちは、進んでプロの道を選んだ。

どちらを選んだにしろ、決して楽な道ではなかったはずだ。志半ばでボクシングから身を引いた選手もいる。

ボクシングはもちろん個人競技なのだけれど、今回合格したうちの何人かは、去っていった仲間の思いを引き受けているだろうし、私も今後、彼女たちの闘いの中に、何人もの“ここにいたはずの選手たち”を思い浮かべることになるだろう。

Thumb1 3月6日発売のNumberでも、プロテストのことを少しだけ書かせてもらってます。女子アスリート特集の中で、ひときわゴツゴツ感漂うページ。かっこいいと思います。

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2008年2月22日 (金)

素敵な披露宴

17日、納見佳容さんと堀内和整さんの披露宴に出席させていただいた。

納見さんは元女子プロレスラーで、現在は舞台を中心に女優として活躍している。ホーリーこと堀内さんは、ダンスユニット“PaniCrew”のメンバーで、下北沢のセレクトショップ“UNB(アンビー)”の店長も務めるなど、幅広く活躍している。

そんな2人の晴れの門出だけに、お洒落なパーティー会場には女子プロレスラー、音楽関係の方々が多数駆けつけた。

披露宴を通して、すごくビックリしたことがある。

司会進行は、PaniCrewのメンバーの方だったのだが、とても緊張していて、観ているこちらも動悸が早くなってしまうぐらい、そして、PaniCrewのメンバーは8名なのだが、司会以外のメンバーも非常に緊張していたのだ。

ふだんは人前でパフォーマンスを披露していて、舞台慣れしているはずの人々が、なぜそこまで緊張していたのか。最初は不思議だったが、式が進行していくにつれ、心の底から納得した。

みんな、この披露宴を成功させたかったのだ。絶対に、いいものにしたかったのだ。

後から聞いたのだが、メンバーの中で初めて花婿になるホーリーのために、メンバーは忙しい仕事の合間を縫って、準備に奔走したのだという。

カッコよくてわかりやすいVTRもつくりたいし、ホーリーがすべてを賭けて打ち込んでいるPaniCrewのことを出席した人々に伝えたいから、ダンスも見せたい。結成してから1人も欠けることなく苦労をともにしてきたメンバーは、最高に楽しくて、祝福に包まれた披露宴にしたいと願い、準備を進め、本番の日を迎えた。準備を進める中で、たくさんの人の優しさを受け取り、その優しさに応えるには完璧に式をやり遂げなければと、ますます自分たちへのハードルを高くした。

だからこそ、緊張しすぎるぐらい、緊張していたのだ。

緊張のぶんだけ祝福の思いが伝わる、本当に温かい披露宴だった。

披露宴の引き出物は、オリジナルのTシャツと、トートバッグだった。帰宅してからさっそくバリバリとビニールを破きTシャツを試着したら、ドンピシャのサイズだった。ついでにトートバッグを肩にかけてみたら取っ手の部分がほどよい長さで、とても使いやすそうなので、荷物を詰め込んで、さっそく翌日のお出かけに利用させてもらった。

翌日の晩、納見さんから電話が来たので、Tシャツとトートバッグの利用価値についてトクトクと語った。

そうしたら納見さんは、出席した一人ひとりのサイズと、着てくれそうな色を考えて袋に詰めたこと、トートバッグは薄手のエコバッグにしようか迷ったけど、長く使ってくれそうな厚手のものに決めたこと、形、取っ手の長さ、生地、デザインを決めるまでに、気を失いそうなぐらい考え抜いたことを、遠慮しいしい教えてくれた。

それから、最高の同期(=メンバー)に囲まれたホーリーは幸せ者で、そのホーリーと一緒にいられる自分もまた、幸せ者なんだなあとも。

その幸せのおすそ分けをもらって、私もホクホクと幸せな時間を過ごしている。納見さん、ホーリー、本当におめでとう。

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2008年2月13日 (水)

女子ボクシング医事講習会

女子ボクシングのプロ化に向け2月28日いよいよ第1回のプロテストが実施されるが、これにさきがけ6日、JBC(日本ボクシングコミッション)・JPBA(日本プロボクシング協会)合同医事講習会が行われた。

選手やジム関係者およそ120名を前に、コミッションドクターの方々が男女の性差や月経とパフォーマンスの関連性などについて講義。特に月経周期が及ぼす肉体的、精神的変調は、今まで感覚的にとらまえていたものを改めて言語として理解することができ、とてもためになった。「自分の体で経験として得た知識と“答え合わせ”をしながら聞いていた」という女子ボクサー、ライカの言葉は、まさに言いえて妙だ。

そのライカは講習会終了後にもう一つ、こんなことも言っていた。

「講義の中で、B型肝炎や先天的なてんかんの話が出てましたよね。自分が思ったのは、そういうのに引っかかったら、本当にボクシングをやりたくてもできないんだなということです。そうやってボクシングを断念する人って多いのかもしれないって。

自分はこれから病院に行って、MRIとか検査をしてもらうんやけど、もしそれで引っかかったら、それはもう神様が決めたことであって、受け入れるしかないんだな。いつでもそういう気持ちになっとかないといけないんだな。今までは、神様が自分にボクシングをやらせてくれてて、それをストップするのも、きっと神様。いつでもそれを覚悟しないといけないんだなと思いながら聞いてましたね」

実りの多い講習会だったと思う。

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2007年9月 7日 (金)

攻める心

昨日後楽園ホールで行なわれた女子総合格闘技イベント「スマックガール」は、様々な波乱とサプライズ(なかでもメインイベントで辻結花が放ったジャンピングパンチは、心臓がハートマークの型抜きで胸部から飛び出るほどビックリした)満載の大会だった。

試合で勝負がついた後、私は「自分が勝者だったらどう思うか」「敗者だったらどう思うか」を、ついついイメージしてしまう。イメージに近いこともあれば、まったく違うこともある。

昨日出場した選手のなかで、特に「私だったら…」と深く深く考えさせられたのは、高橋洋子だった。

高橋はデビュー10年でようやく獲ったベルトを賭け、デビュー1年のHIROKOと対戦した。ベテランと新人という関係性だけではなく、高橋は、格闘技経験のないHIROKOに格闘技を教えた同門の先輩で、2人は師弟の間柄でもあった。

そのHIROKOに、高橋は3ラウンド打ち合った末に判定で負けた。大ベテランが新人に負けた。師匠が弟子に負けた。

私だったら…私だったら、自分のココロに耐えられない。表現が間違っているだろうが、そうとしか言えない。悔しさとか情けなさとか、そういう言葉はきっと正しくない。なにか、グサグサといろいろなものが突き刺さっている、自分のココロに耐えられないだろうと思った。

ところが、試合の翌日、つまり今日、高橋から送られてきたメールの文面は、私の抱いたイメージとかけ離れていた。一言でいうと、元気だった。もう一言つけ加えると、毅然として、元気だった。さらにもう一言つけ加えると、毅然として、元気で、それは決してカラ元気ではなかった。

「慰めはいらない。HIROKOはいい選手。次は勝つ」

メールを要約すると、そんな内容だった。私は自分のイメージとの乖離に驚き、ココロに対して「耐える」のではなく「攻める」という方法もあるのだと、改めて学んだ。うまく伝わったかどうかはわからないが、学ばせてもらった礼を文字にして送ると、返信されてきたメールで、今度は高橋が「え?」と驚いていた。そして「え?」の後に、こう続いていた。

「格闘技はやらないとやられます。

やられる前にやる!

鉄則です

これは、デビュー3戦目ぐらいの有明の金網で学びました」

女子のケージファイト(リングではなく金網の中での試合)が、今以上にキワモノ視されていた時代、高橋は猛獣のオリに放り込まれたような恐怖感を味わいながら、それでも闘った。

ふだん高橋と話をすると「私は気が弱いんです」「私も気が弱いんです」「いや、私のほうが」「いえいえ、私なんかもっと」と、気の弱い選手権になるのだが、長いキャリアで鍛えられた格闘家・高橋洋子のココロは、つつけばはじける風船のような薄さではなく、弾力性豊かな分厚い膜でおおわれていた。

HIROKOの目を見張る成長ぶりが、私は嬉しかった。

目には見えないけれど、高橋のココロがたしかに成長しているのを知って、また私は嬉しくなった。

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2007年6月27日 (水)

猪崎かずみが王座を防衛した

07624face4080001_1 6月24日の女子ボクシング大会。

メインの日本フライ級タイトル戦で、猪崎かずみが王座防衛に成功した。

挑戦者の上村里子が見せた成長も驚くべきものがあったが、猪崎には届かなかった。「猪崎選手は一戦一戦、強くなっていきますね」。私の周りにいた誰もがそう言って、神々しいものを見るように猪崎を見つめていた。

「一戦一戦、強くなっていく」。成長過程のファイターによく使われるこの言葉も、現在44歳の猪崎に使われる時、そこには特別な意味が込められる。

インターバルの時でさえ、椅子を拒否して立ち続け、2分8ラウンドを闘い抜く猪崎を見ていたら、自然とこんな言葉も浮かんできた。

「人生のぶんだけ、強くなる」

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